自然と人間の共生

この文章はある本に書いてあることを参考に書いてみました。

 

いまさらいうまでもありませんが、人間といえども自然の中の一部なのです。
いつの頃からか私たちは自然であることを忘れて「自分(人間)の力で自然を従えることができる」と思い込んできました。そして「自分(人間)だけは、他の生物と違う特別な生き物だ」と思い込んでしまいました。

 

しかし、もともとが自然は巡り巡るものなのですから、そのサイクルを無視するようなことをすれば歪みが生じます。
その歪みや、臭いものに蓋をするようなことをして文化生活を満喫してきた結果、水や空気といった生き物にとってなくてはならないものまで失いかけています。

 

遅まきながら人間は、「人が自然であることを止めることはできない。」簡単にいうと、「人は自然の中に生かされている」ということに気がつき始めま した。しかし残念なことにすべての人が気がついたわけではありません。「科学」という万能の神が、いずれこの問題を解決するだろうと考えている人は結構多 いのです。(科学による自然の支配)

 

世界的に環境問題がクローズアップされるようになった今、何らかの手を打たない限り自分たちの将来が危ういことは、誰もが認めざるを得なくなってき ました。年々オゾン層の破壊が進み、地球の生物の命が脅かされていることや、温暖化や森林の伐採によって気候や、植物分布、動物分布が変化していること も、酸性雨がこの世のものを溶かし始めていることも、原発事故の恐ろしさも、廃棄物処理が限界にきていることも、自然資源が乱獲と浪費によって枯渇しか かっていることも、遺伝子をおもちゃのように扱っていることも情報としては知っています。

 

それでも多分私たちは、劇的には変わらないだろうし、救われません。なぜでしょうか?

 

「人間がよりよく生きる」には、人間同士を超えて、この地球上に存在するものすべての権利を受け入れる覚悟が必要です。地球は永遠不滅、未来永劫では決してありません。

 

しかし私たちは、あまりにも長い間やりたい放題を続けてきたので、なかなか考え方を切り替えることはできません。
「自然に対しての既得権」というものが存在しているとすれば人はそれを手放すことがなかなかできないものです。

 

昔や今を改めることはできません。ものすごく長い年月が必要になるかもしれませんが、私たちの子孫のためにも最初の一歩を踏み出しましょう。

 

私は材木屋です。木材を考えるときも、川上の山元を見て、川下の建築も見て、その「木」がいかに役立つように(人にも環境にも)使われているか、使 われて行くか、われわれの流通がその正しい調整役に立って、せっかくの木材が無駄な使われ方をしてないか?誤解を招く使われ方をされてないか?考えていく べきときがきたと思います。
とにかく、「環境と木材」は切っても切れない仲なのですから、この「環境と木材」だけは業者であれば一所懸命に研究し、一般の方々に理解されるよう努力していくべきだと思いますし、地場の木材業者、建築業者が生き残っていける道のひとつだと思います。

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