欠陥住宅ができるわけ

■ なぜ欠陥住宅が生まれるのか

補足・監修 (株)ムラモト 村本喜義

 

(1) 欠陥住宅問題の要因

今日、欠陥住宅が社会問題化している理由としては、社会の意識の変化によって、今まで気付かれていなかった欠陥が顕在化したという側面があることは否めません。

 しかし、すでに多くの人々が指摘しているとおり、これからご説明するように、従来欠陥の発生を防止してきた社会システムが機能を失ってしまったり、法律的な制度が目的どおりの機能を果たしていないことが、欠陥住宅を産み出す最大の原因と考えてよいと思います。

 

(2) 建築業者の「地場産業性」の消失

 60年ほど前まで、住宅は、自力で資金を調達できる階層の人々が自宅や賃貸用の建物を、棟梁と呼ばれる地元の建築業者に発注するのが一般的でした。 そのため、発注者側も建物に対してある程度の知識を持っていることが多かったし、業者の側も、主な活動範囲である地元で欠陥のある建物を建てては仕事を続けることができなくなりますので、へたな手抜きはもともとできません、また、問題が生じたときも早急に補修するのが通常だったといってよいのです。 しかし、第二次大戦後の国の持家政策(ハウス55など)、高度経済成長による国民の生活水準の向上、そして、住宅金融公庫、いわゆる住専、さらには銀行による融資制度が順次生まれたことも手伝って、大量の住宅需要が発生し、その中で、住宅メーカーと呼ばれる産業も誕生しました。 このような需要に対応して増加した建築業者は、仕事を求めて、遠隔地の工事にも手を付けるようになったり、住宅メーカーの下請業者となってゆきます。 やがて、建築主や住まい手は、業者にとって「工事が終われば縁の切れる存在」や「顔の見えない存在」になり、地元での評判を気にする必要もなくなってきます。 また、下請け、孫請け関係の下流に位置することになった業者は、切り詰められたコスト面からの圧迫によって、次第に「プロとして恥ずかしくない仕事」よりも「安く早い仕事」を目指すようになったのです。 こうして、かつては棟梁の「作品」だった住宅は、業者の「商品」に成り下がってしまったといっても言い過ぎではないのです。


 

(3) 現場の施工者の技術力の低下

 従来、実際に現場で施工にあたる職方と呼ばれる人々は、良し悪しは別として徒弟制に近い前近代性の残る環境の中で経験を積むことによって育ってきましたし、今でも、建築の施工は「伝承」と「経験」によって成り立っていることは否定できません。 従来の「手抜き」は、本来やるべきことを知りながら「時間がない」「金がない」「面倒臭い」といった理由から行われていました。 しかし「金はあるが人手がない」という状態が長く続いたバブル期に「時間がない」ことから来る手抜きが日常化していたとすれば、それを見て育った後継者たちが、それを「普通の施工」だと思い込んだとしても何の不思議もありません。

 このようにして「本当の普通の施工」を知らない施工者が大量に誕生してしまったばかりでなく、今後とも、この種の「無知無学による結果的手抜き」が、さらに幅広く伝承されてゆく危険性は否定できません。

 

(4) 小規模住宅における「監理」の形骸化

 建築基準法は、事前の建築確認と、事後の完了検査という、公的なチェックがあります。また、建築士にチェック機関としての機能を持たせている理由は、建築士に、建築の専門家として、施工業者とは独立した立場から、適法・適正な施工が行われるように監視することを期待しているからです。しかし、法律上、建築業者の従業員の建築士でも監理者になれること。建築業者と形の上では独立していても、継続的に業務の依頼を受けるなど経済的な依存関係にある建築士も多いこと。一般的に建築士の意識は主に設計に向いており、監理については興味も技能も持っていないことも多いこと。などの理由から、実際にはそのチェック機能がはたらかず、業者のペースで工事が進められるという、「監理の形骸化」という現象があることは、特に住宅を含む中小規模の建築工事について指摘されています。また、もっと悪いことには、最初から監理をするつもりなど全くないのに、役所への建築確認の際に監理者として届け出るという、違法な名義貸しをする建築士も横行しているのが実情なのです。

 

■ 消費者側のリテラシーの問題

(1) 自動車と住宅


 先ほど述べましたような住宅の「商品」化は、消費者に、住宅を、一桁下の高額商品である自動車と同じ感覚で手に入れることができるかのような「錯覚」を植え付けてしまいました。これが、住宅について、契約や施工に先立って欠陥の発生を予防する機会を失わせ、さらに欠陥が発生した場合の対処も誤らせている最も大きな原因だと思います。 自動車を買う場合、ほとんど誰でも、カタログ、雑誌記事、さらに試乗など相当な時間をかけて下調べをしています。

 

 たしかに、住宅を手に入れようとする人も、それなりの時間をかけてはいます。しかし、その時間のほとんどは、地面に建物の重さを伝える基礎や建物の骨組みの強さや、木材の樹種の違いによる耐久性の違い(自動車でいえば車体の剛性、エンジンやブレーキの性能、走行の安定性などの基本性能に相当します。)などの人の命や身体の安全にかかわる「強さ」や「耐久性」にではなくて、間取り、壁紙の色、備付けの建具やキッチンセットなどといった「見た目」の部分のために費やされていて、中味の面では、自動車を買うときと同程度の注意すら払っていないのが実情なのです。

 

(2) 建物の「単品生産性」

 自動車は、大量生産される規格化された商品です。少し乱暴にいえば、メーカーと型番さえ決まれば、どのような材料・品質の商品を手に入れることができるかは決まります。このことを、悪く考えれば、メーカーの「お仕着せ」といえるかもしれませんが、違った側面からみれば、このことは、同じ商品を買う他の消費者と同じ材料・品質の商品を入手できることが保証されていることを意味しているともいえるのです。

 

 これに対し、住宅は、ある特定の土地の上にいろいろな選択肢のある施工方法のうち一つを選んで種類・品質について膨大なバリエーションのある中から選択した材料を使い現場で人の手によって組み合せてはじめて完成するという単品生産品です。

 これは、商品というよりも、むしろ、陶芸家の作る壷のような工芸品に近い性格を持っているということができるのです。そのため、出来上がった建物の品質は、使う材料や現場での施工に大きく依存します。

 

(3) 研究所と現場との技術格差


 大手の総合建設業者いわゆるゼネコンや住宅メーカーの研究施設、あるいは大学の工学部建築学科等の研究室では、日々新しい技術や材料が開発され、我が国の建築技術は国際的にみても第一級の部類に属するといわれています。 しかし、この「研究室レベル」の技術や知識が、とりわけ住宅のような小規模な工事の現場に反映されにくく、かえって、建物の品質が現場施工者の技量に依存する傾向が強いことが、かねてから指摘されています。

 このことも、「研究室レベル」の技術や知識が、その製造技術の開発や製造設備の設計を通じて、直接・間接に最終製品に反映されやすい自動車と住宅の決定的な違いといえます。

 実際に、いわゆるツーバイフォー住宅が普及する初期の段階では、建物の強さを確保するために不可欠な釘の本数や打つ間隔が守られなかったために、多数の欠陥住宅が産み出されたこともあります。

 

(4) 住宅に関する正しい認識と対処

 結局、右のような住宅の性格からみて、建物の間取りや面積を決めるだけでは、安心して住める住宅を確実に手に入れることはできないのです。

 そのためまず、自動車などの「商品」と住宅との本質的な性格の違いを理解し工事の方法・内容、使用する材料やその数量・使用場所をできるだけ細かく取り決め、工事が適法・適切に行われているかをチェックすることが、残念ながら必要になるのです。

 もちろん、一般の消費者が、これらの全てに必要な知識を持つことは不可能です。

 そのため、設計、契約、施工といった建物が完成するまでの全ての段階で、建築専門家、それも、業者に対して先に述べたような経済的依存関係のない建築士の助力を得ることが不可欠になるわけです。


 

■ 住宅の「欠陥」にどう対処するか

(1) 「雨が漏る」のは「欠陥」ではない?

 雨漏りのする建物に何らかの問題があることは確かです。 しかし、それだけでは「熱があるから病気だ」というのと同レベルの話にすぎません。 熱のある患者に解熱剤を処方しただけで帰すお医者さんはいません。 それは、熱を下げることではなく、熱を出している原因を取り除くのが本当の治療だからなのです。 建築の欠陥の調査や補修も同じことです。

 雨漏りといっても、塞ぎ忘れたエアコンの配管の回りの穴から雨が入るのと建物が不均等に沈下して変形したためにできた外壁のタイルやサイディングの隙間から雨が入るのとでは、補修の方法にしても費用にしても、雲泥の差といってよいほどの違いがあります。

 そのため、このような「熱がある」ことに相当する「雨漏り」という「表面に現れた欠陥」ではなく、それを引き起こしている原因、つまり、病気でいえば「肺炎」だとか「骨折」にたとえることにできる「本当の欠陥」を見つけ出す必要があるのです。 残念ながら、ほとんどの消費者は、こういった「表面に現れた欠陥」と、「本当の欠陥」の違いを知りません。

 そのため、業者に表面だけのおざなりの補修を繰り返させるだけになってしまい、症状が一向に改善されないだけならまだよい方で、かえって、度重なる「手抜き修理」により建物が痛んでいるという事例も数多くあるのです。 このような事態にならないためには、前に説明したような建築専門家に依頼して、建物の一番「下」の基礎や「骨」にあたる建物の骨組を、とりわけ、冒頭に述べたような人の生命・身体の安全にかかわる「強さ」や「耐久性」の有無に着目して調査をしてみる必要があります。

 

(2) 欠陥の有無をはかる「モノサシ」として何があるか

 欠陥とは、本来は、要するに法律や契約や社会通念にてらして所要の品質を持たないことをいいます。


 したがって、欠陥というためには、何らかのモノサシと現状が一致していないことを指摘する必要がありますし、そうでないと、欠陥の有無をめぐって、業者と、はてしない水掛け論を続けることになりかねません。

 このモノサシとして、第一にあげなくてはいけないのは、我が国の建築物の「最低基準」を定める建築基準法令です。

 過去の裁判例をみても、建築請負契約の場合は、特別の事情がないかぎり、建築基準法令のうち、少なくとも建物の強さなどの安全性にかかわる規定については、これをクリアする合意があったと考えるべきものとされていますし、この理屈は、建売住宅やマンションの売買契約にも当てはまると考えられます。

 もっとも、建築基準法令で決められているのは、もともと「安全な建築物を作るために、最低限守らなければならない事柄」だけですし、それも、技術の変化・進歩に対応できるようにするために抽象的に決められているだけの場合も多いのです。

 これに対し、法律の世界では、契約でその目的物の品質などが具体的に決められていないときは「中程度の品質」のものを目的としたものとして取り扱うのが原則となっていますので、この「中程度の品質」を明らかにし、しかも建築基準法令の主旨をより具体的に規定したモノサシが必要になってきます。

 そして、そのモノサシとして考えられるのが、安全性と経済性に加えて現実の施工現場での実現可能性も勘案して定められている日本建築学会の標準仕様書や、一般庶民層に対する住宅資金の融資を目的として設立された住宅金融公庫の標準仕様書などであるはずなのですが、残念ながら木造住宅の場合の「木材」は、木材そのものの品質や特性が生かされるような一般的なモノサシはありません。

個人のカンや代々受け継がれてきている経験が唯一「モノサシ」と呼べるものかもしれません。

 

■ 欠陥住宅を予防するには


(1)「契約」の重要性

 実際に行われている一般住宅の建築請負契約をみると、紙1枚の契約書に、簡単な図面が2枚、あとは、「○○工事一式XX円」式の2、3ページ程度の見積書が添付されているだけという、契約書として極めて不十分な場合が非常に多いのです。 また、これに既製の契約約款と呼ばれる、契約内容があらかじめ印刷された書類が添付されている場合もありますが、その中には、契約に違反した場合の損害金や、欠陥があった場合の保証期間について、消費者側に極めて不利な規定が含まれているものもあります。 前に説明しましたように、建物に欠陥があるかどうかについて、標準仕様書などについては、それがモノサシにあたるかどうかが争いになることもしばしばあります。まして、内外装材などの「見た目」のレベルの問題になると、そのようなモノサシを見つけること自体が困難なときもあります。これが、業者との将来の紛争を防ぐために、その契約の「モノサシ」となる仕様や使用する材料などを事細かに決めておかなければならない理由なのです。 しかし、建築の知識を持たない消費者が、業者側が作成した書類や図面をみて、そのような事柄が充分に取り決められているかどうかを判断するのは非常に困難ですので、先に述べましたような建築専門家の助力が必要となるのです。

 

(2)その他の自衛策

 すでに述べた理由から、いかに立派な図面ができ、使用する材料などが決まったとしても、そのとおりの住宅が建つかどうかは実際の工事にかかっています。そのため、工事にあたっては、いわば、発注者側の立場に立って、発注者にかわって、工事が、契約通りの材料を使って、契約通りの方法で行われているかをチェックする建築専門家を監理者に選任するのが最も有効な手段です。

 また、かりに正規の監理者を依頼することができない場合であっても、木造の在来工法の場合を例にとると、最低限、基礎の鉄筋が組み上がり、コンクリートを流し込む直前、建物の木材が組み上がり、壁に筋かいという斜めの部材が取付けられた直後などといった、その後の工事が進むと他の部材に覆いかくされてしまうため、後から適正に施工されているかどうかを確認することが難しくなる部分について、建築専門家に依頼して、施工状態をチェックしてもらうとか、少なくとも自分で写真を撮っておくなどの自衛策はとる必要があります。 木造住宅は木の使い方一つで良くも悪くもなることを肝に銘じて行動をとることが大事になります。木造住宅を建てるときに建築業者に木のことを相談するのではなく木の専門家である木材業者に相談するのが筋だと考えます。

 また、建売住宅やマンションの場合でも、すでに完成している建物を購入する場合には、売買契約を結ぶ前に売買契約後に完成した建物については、残りの代金を支払う前に建築専門家に同道してもらって、施工状態のチェックを受けるのも有効な自衛策といえます。

 また、建売住宅の場合で契約後工事が開始されるときは、先ほど述べたような建築専門家のチェックや写真の撮影が可能な場合もあります。

 

■ おわりに


 自動車は、メーカー自身による長期にわたる実験やテストと、一時は貿易の非関税障壁とまでいわれた我が国の「型式認定」を経てはじめて製品化されます。それでも、いわゆる初期不良が発生することはありますし、リコール問題も頻繁に起こっています。まして、先に述べましたような単品生産品である建築物に欠陥が起こるのは、冷静に考えてみるとわかるように、何の不思議もないのです。 それが見過ごされてきたのは、制度を作れば世の中がそのとおりに動くと思い込んでいた役所の傲慢と図面さえ引けばそのとおりの建物が建つと楽観していた建築士の怠慢と、お金をもらえばその後はできるだけ安く早く仕上げて儲けることばかり考えている建築屋の強欲と、その建築屋の言いなりになって不良な材料を供給してきた流通業者のモラルと、これらに気付かなかった法律専門家の無知・無理解の結果ともいえるかもしれません。

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